龍王山城跡

龍王山城跡

大和高原と奈良盆地を境とする山なみの中にひときわ高くそびえる龍王山の山上に龍王山城がある。この山は柳本及び田の龍王社がまつられているので龍王山とよばれ、中世の史料にも「龍王城」の名で登場する。
城は南・北二つの峰に別れていて、北の方が60メートルほど低いが山上が広いので、北城の方が大規模である。北城だけをとりあげると、信貴山城より小さいが、南北両城を合わせると、大和随一の中世城郭である。二か所に別れながら、互に呼応しあって一つの城を形づくっているのを、別城一郭の構えという。龍王山城は規模が大きく、縄張がよくできていて、遺構の保存度もよい上に、南北の別城一郭の構えであることが明確であるという点でも注目される。
しばしば龍王山城が、越後の春日山城、安芸の郡山城とならんで、日本の三大山城だといわれるが、規模だけで比べると、これは少し誇大ないい方である。日本の中世山城には龍王山城より大規模なものがたくさんある。近江国六角氏の観音寺城、越後国上杉氏の春日山城、出雲国尼子氏の富田(月山)城、能登国畠山氏の七尾城、安芸国毛利氏の郡山城、近江国浅井氏の小谷城、武蔵国後北条氏の滝山城と八王子城、上野国の金山・箕輪・松井田三大城などは龍王山城よりは大きい。しかし龍王山城は、越前国朝倉氏の一乗谷城の山城の部分よりは大きいし、本丸を中心としてよくまとまった諸郭は十分な広さをもち、防御性を考慮した施設が豊かで、堂々とした風格を備えている。城主の十市氏は、全盛期の遠忠の時代に、大和では筒井・越智の両雄と覇を競いあった有力な国人であるが、全国的に見れば、あまり目立たない存在である。その十市氏が、諸大名の居城に見劣りしない大規模な山城を築いたことは注目に値する。
十市遠忠と同時期に大和の国人の代表格として活躍した筒井順昭は、やはり山城を築いたが、この筒井山城は五ヶ谷と菩提山正暦寺の奥の椿尾城(現奈良市)に該当すると思われるが、これは龍王山城より、はるかに小規模である。南和の越智氏の築いた高取城も、かなりの規模であったらしいが、近世に大改築されて変容したので、中世城郭跡としては、龍王山城が大和を代表するものである。

「天理市の文化財」より抜粋

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