在原寺跡

●在原寺跡 ところ 櫟本町市場

在原神社本殿

在原神社本殿

 和州在原寺の縁起によるとこの東の石上領平尾山に、光明皇后が開かれた補陀落山観音院本光明寺があり、本尊は聖武天皇御縁仏の十一面観音であった。第51代平城天皇の御子阿保親王はこの観音を信心して業平が生れたと称し、このため親王は承和2年(835)今の地に移し、本光明山補陀落院在原寺と称した。「寛文寺社記」によると元慶4年(880)5月28日業平が病没したので邸を寺にしたとある。天文23年(1554)三条西公条の『吉野詣記』には在原寺の記事が見え、延宝9年(1681)刊の『和州旧跡幽考』にも記され、江戸時代は寺領わずかに五石であったが、明治維新ごろまで本堂、庫裡、楼門などがあり、昔は、在原千軒と称せられたほど人家が建ち並んでいたという。在原寺は廃寺となり、本堂は明治初年に大和郡山市若槻の西融寺に移され、今は阿保親王と在原業平を祀る在原神社となっている。
 上街道から在原神社の入口に、在原寺という標石が建っているが、その裏面に在原神社と刻まれているのはその事情を物語っている。
 中将在原業平は、有名な歌人の一人であり、また絶世の美男子であったといわれる。業平の作という伊勢物語にのせられた歌物語の「筒井筒ゐづつにかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」の歌や、謡曲の「井筒」にちなんだ筒井筒のほか一むらの薄(すすき)、石標などにその名残を留めている。

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