和爾下神社・柿本寺跡と歌塚

● 和爾下神社 ところ 櫟本町治道山

和爾下神社本殿の画像

和爾下神社本殿

 本殿 重要文化財
 櫟本の町中を流れている高瀬川に沿った長い参道があって、東の治道山に鎮座、寿永2年(1183)藤原清輔の弟顕昭(けんしょう)が著わした『柿本朝臣勘文』によると、「清輔が語っていうに、大和国へ下向した時、古老から聞いたが、添上郡石上村の傍らに社があり、春道社という。その中に寺があって柿本寺といい、人丸の堂である。その前の田の中に小塚があって人丸墓という」意味の記事があり、この記事により石上村の付近に治道の森があり、治道社(春道社)と柿本寺があったことがわかる。『東大寺要録』には、「神護景雲3年(769)東大寺領の櫟庄に水を引くために、高瀬川の水路を今の参道に沿った線に移し、道も新しく、まっすぐに造られた。
 この社は東大寺山丘陵の西に位置する古墳の上に祀られていて櫟本地方にいた豪族の氏神であったが、今は櫟本の鎮守である。
 御祭神は素盞鳴命(すさのおのみこと)を祀っているので牛頭天王社ともいわれ、ここに建てられた柿本寺との関係で柿本上宮ともいわれた。明治初年に延喜式内の和爾下神社に当ると考証されて社名を和爾下神社と定められた。
 今の本殿は、桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、向拝一間、檜皮葺、桃山時代の様式をそなえ、古建築として昭和13年国宝に指定、現在重要文化財に指定されている。例祭は7月14日(祇園さん)と10月14日の2回である。 

● 柿本寺跡と歌塚 ところ 櫟本町人丸

柿本人磨呂の歌塚の画像

歌塚

 治道山柿本寺は、治道の森のほとりにあって柿本氏の氏寺であった。ここに柿本氏の出である歌聖柿本人麿の遺骨を葬ったので、人麿崇敬が盛んになるにつれ、歌塚として有名となった。『藤原清輔家集』に「大和国石上柿本寺という所の前に人磨呂の塚ありと聞きて卒都婆(そとば)に柿本人丸の塚としるしつけて傍にこの歌をなん書けり
 世を経てもあふべかりける契こそ苔の下にもくちせざりけれ」
 柿本寺は出土の古瓦から奈良時代に創建されたと考えられる。建武4年(1337)北朝軍が天王社(治道社)や柿本寺に陣取って南朝軍と戦った記事があるが、その前後に描かれた柿本宮曼茶羅(まんだら)(現在奈良市学園前町大和文華館が所蔵、重要文化財)がある。いつの頃からか、ここから西約400メートルの天理市立櫟本小学校の西側へ移った。ここへ移った時代は不明であるが、室町時代には現在の地にあったようで、江戸時代にかけては代々学僧が出て和歌や茶の湯などに親しんだが、明治初年に廃寺となった。
 しかし、享保17年(1732)柿本寺の僧や森本宗範によって建てられた歌塚の碑によって今もなお昔を偲ぶことができる。

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