藤の棚・大和神社

● 藤の棚(たな) ところ 福知堂町

松尾芭蕉の句碑の画像

松尾芭蕉の句碑

 貞享4年(1687)10月、江戸を発って故郷伊賀上野で越年した芭蕉は、翌年3月、杜国(万菊丸)を同道して、吉野の花見・高野詣・紀伊遊覧・大和の順遊を試み、4月、須磨・明石を訪ねて、同月下旬、京に入った。その間6ヶ月の旅を綴ったのが、いわゆる『笈の小文』である。この紀行の内容が、大きく三つに分かれることから「芳野紀行」「大和紀行」「須磨紀行」と、部分的な呼称がもちいられる場合もある。その「大和紀行」に、次の一節がある。
 旅の具多きは道ざわりなりと、物皆払捨たれども、夜の料にと、かみこ壱つ、合羽やうの物、硯・筆・かみ薬等、昼笥(ひるけ)なんど物に包て、後に背負たれば、いとゞすねよはく力なき身の、跡ざまにひかふるやうにて、道猶(なお)すゝまず、ただ物うき事のみ多し、
 草臥(くたび)れて宿かる比(ころ)や藤の花 の句碑が、福知堂町の上ッ道脇に建っている。

● 大和(おおやまと)神社 ところ 新泉町 星山

大和神社の画像

大和神社

 御祭神 大和大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ) 八千戈大神(やちほこのおおかみ) 御年大神(みとしのおおかみ)
 JR桜井線・長柄駅の東南方に、うっ蒼とした森がある。大社らしく43ヘクタールにのぼる広大な神域に、東面するのが大和神社である。『日本書紀』の所伝によれば、御祭神の大和大国魂大神と八千戈大神は、ともに大己貴神(おおなむちのかみ)の異名同神で、一は国土経営に功をたてられ、一は武勇すぐれた神徳を尊崇する御名であり、御年大神は穀物の守護神である。大和大国魂大神は大和一国の地主の神で第5代孝昭天皇即位の年、はじめて宮中内に天照大神と同殿共床で奉斎されたが、第10代崇神天皇即位6年9月、天皇が神威をおそれて、天照大神を皇女豊鋤入姫をして、倭の笠縫邑(かさぬいむら)にうつされたとき、皇女渟名城入姫(ぬなきいりひめ)に勅して倭国市磯(いちし)邑にうつされたのが当社の創祀であると伝えられ、社地は後代になってうつり現在の地に鎮座した。
 奉斎については神武天皇の功臣椎根津彦の子孫市磯長尾市を神主として祀らしめてから、その子孫大倭氏が長く奉仕した。奈良朝には大倭忌寸五百足がでて、平安時代の仁安年(1166~1169)中には、大倭直歳繁が大倭社注進状をたてまつった。近世には同族の市磯氏が代々奉仕して明治に至った。
 古来、当社は朝廷の崇敬厚く神階は嘉祥3年(850)10月従二位に、貞観元年(859)正月、従一位をさずけられ、ついで寛平9年(897)12月には正一位に昇った。 延喜式には「大和坐大国魂神社」としるされ、名神大社に列し、白河天皇の時代以来、二十二社の中にあって、明治4年5月14日官幣大社に列せられた。
 また、第二次大戦中世界最大の不沈戦艦といわれた戦艦大和が昭和17年12月8日守護神として大和神社の御分霊を祀っていた。

〈詳細>

 例祭は4月1日で、大和の俚(り)謡にもあるように、「祭はじめはちゃんちゃん祭り 祭りのおさめはおん祭り」と春のはじめの大和における大きな祭りである。大和神社の郷中である成願寺、兵庫、長柄、新泉、岸田、佐保庄、三昧田、萱生、中山の九つの町の氏子によって奉仕される。このちゃんちゃん祭りは、主神大国魂大神の例祭と神幸祭で、神社の東南1キロのお旅所へ神幸される。祭りには太鼓がつきものであるが、ここの鉦鼓をちゃんちゃんと鳴しながらゆくので祭りの名になったものと思う。例祭の他に、御弓始祭、粥占祭、御田植祭なども行なわれる。

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