● 藤の棚(たな) ところ 福知堂町
貞享4年(1687)10月、江戸を発って故郷伊賀上野で越年した芭蕉は、翌年3月、杜国(万菊丸)を同道して、吉野の花見・高野詣・紀伊遊覧・大和の順遊を試み、4月、須磨・明石を訪ねて、同月下旬、京に入った。その間6ヶ月の旅を綴ったのが、いわゆる『笈の小文』である。この紀行の内容が、大きく三つに分かれることから「芳野紀行」「大和紀行」「須磨紀行」と、部分的な呼称がもちいられる場合もある。その「大和紀行」に、次の一節がある。
旅の具多きは道ざわりなりと、物皆払捨たれども、夜の料にと、かみこ壱つ、合羽やうの物、硯・筆・かみ薬等、昼笥(ひるけ)なんど物に包て、後に背負たれば、いとゞすねよはく力なき身の、跡ざまにひかふるやうにて、道猶(なお)すゝまず、ただ物うき事のみ多し、
草臥(くたび)れて宿かる比(ころ)や藤の花 の句碑が、福知堂町の上ッ道脇に建っている。
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